本や漫画が好きです。
漫画は毎日、ジャンプ+で漫画を楽しんでおります😊(毎日、日替わりで超面白い漫画が無料で読めるって本当に最高✨)
実家に数百冊置いてきているので、自分の家に本棚というか…小さな図書館を持ちたいな。
最近心に余裕もなく、インプットするキャパを超えていて読んでなかった。
自然に読みたくなったので、忘れないメモとしてブログに書いちゃうことにしました。
新年はランナーファンが非常に多い大迫傑さん『走って、悩んで、見つけたこと。』。
旦那さまも本をよく読む人なので、旦那さまからお借りしました。
2023年はもう一度自分にとっての「走ること」と向き合いたいから。
心に響いた言葉をピックアップして、私にとっての「走る」を重ねて書いてみます。
🍊走るとは
…日常生活では何かをすごく考えるということはなくて、割とぼ~としていることも多いけれど、走っているときは自然と考える時間になります。…誰にも介入されない、自分だけのゾーンができるようになる。今の時代は日々の生活だけじゃなくて、SNSもあったりして、なかなか自分に没頭する時間がありません。そんな中で走っているときだけは、すべてを忘れられる。長距離にはそういう聖域みたいな部分を感じます。(p.32より)
昨日再会した友人から「走ることって、なっちゃんにとって自分自身の表現だもんね」と言ってもらいました。
以前出逢った人からこう言われたこともあります。
「朝走るっていうのが良いんだろうね。その瞬間から1日中、自分の世界に没入できる。(だから周りに左右されない。自分を持っていられる)」
「走ることは動く瞑想だよね」
大迫さんが言う「聖域」という感覚。
でも、私は走ることを「自分を守ること」に使っていた時期が長かった。
他者の介入を許さないために。
自分のちっちゃなプライドを守るために。
他者よりも優位性を保つために。
自分を見失わないために。
中学・高校・大学の学生時代、私は他者との比較が特に激しくありました。
中学校時代は、周りの物事(めんどくさい人間関係、先生の声など)を完全にシャットアウトする術として、とにかく自分の世界の中でひたすら走っていました。おかげでコミュニケーション能力が育たず、自分をさらけ出せない弊害も生まれましたけど(笑)
高校時代は、走ることでしか勝てる要素が無くて、走らないと自分を保てなかった。(でも結局、自分よりも活躍した親友がいたんですけど)
大学時代は、自分が誰よりも遅くて走れなかった。アイデンティティを見失って、めっちゃふてくされました。部活に私の居場所は無かった。完全に自分を見失いました。
そんなこんなを経て、今は走ることを再定義し始めています。
走ることで考えを整理する。
走ることで、自分と向き合う。
走ることで、ご飯を美味しく食べる。
走ることで、人とつながる。
走ることは、動く瞑想。
走っている私は、私らしい。
走ることは、私の表現。
ランナーの皆さんに聞いてみたいな。あなたにとって、走るとはなんですか?
🍊自分の道
…逆に僕から見たら、意外とみんな、本来行くべきところに行けていないのではないかと感じています(p.23)より
「いつも自分で考え、自分にとってベストと思う道を選択してきた」と語る大迫さん。
耳が痛いな。
本来行くべきところに行けない理由って、逆になんだろう?
私の場合は…感情に振り回されること。自分を客観視できないこと。思い込みが強すぎて視野が狭いこと。
上げたらキリがないですが、本来行くべきところに行けていない感覚はものすごくあります。
でもこれはしょうがない。
人によって時間のかかり方が違うし、何より「自分で気づけなければ一生辿り着かない」地点だから。
私はもう十分、迷走して方向を盛大に間違えて行って戻って…をやったんだから。もう直行しましょ。
🍊何が起きても、大丈夫。
不測の事態というのは色々と想像しすぎることによって起きるのではないでしょうか。すべてを起こりうることとして捉えて、柔軟に冷静に対応できるという自信があれば、何が起こってもそれは不測の事態にはなりません。(P.41より)
恋愛を想起しました(笑)女子の勝手な妄想という暴走。「こうなんじゃないか」「ああなんじゃないか」「こうだったらどうしよう」とかとか。
そういえば、知人の女性ランナーが「お腹が弱くて、いつもマラソン当日にお腹痛くなっちゃって。それが心配で、食べ物を工夫しているんだけど…」と言っていました。
「マラソン前だから」といつもとは違う余計な行動(食事等)を取っているかもな…ゴニョゴニョ。
想像しすぎて、余計な行動をとる。不安に駆られ過ぎる。そういうことが「不足の事態」につながっているかもしれません。
けっこう、自分で引き起こしている事が多いし(自戒を込めてます)。
起きた物事に対してジャッジしない、も重要!
良い悪いを決めているのは自分自身だから…って、結局すべては自分なんですね。
柔軟に冷静に対応できる自信がつくとは思っていないけれど…(自信って何?)
ただ「何が起きても大丈夫」という、自分のあり方を整えて生きるだけ。
🍊ベクトルは常に、自分。
今となっては、学生のころはそれくらい誰かを意識して苦しむことが必要だったのだと思っています。そうやって他人に対して意識を向けすぎると疲れてきて、感情のベクトルは他人ではなく自分に向けるべきなんだと学ぶことが出来る。(P91より)
みんなが通る道で、卒業できないまま一生を終えることもある「ベクトルの方向」。
外に答えなんて無くて、他人と比較しても得るものは無くて、外に期待しても自分が失望するだけで。
やっぱり、自分とどれだけ「本当の意味で」向き合ったか。
それに尽きると思います。
周りの尊敬する方々を見ていると。
友人から「走ることが好きなんだね」と言われて、それには「…」となりました。
感情的には「好きではない」。むしろ「苦手」だし「嫌い」な部類です。(部活の顧問の先生に、「お前は走ることが一番苦手なんじゃないか?」と言われたことが妙に残っています。本質ついていたと思う(笑))
でも、自分のことは自分がいちばん見えていないもの。距離が近すぎて分からないもの。
人の方がよほど見えているし、伝わることは自然と伝わるんですよね。
きっと「走ることが好き」というモチベーションが、私の中にあるのかもしれない。
それを見出していこうと思っています。
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