4月2日。1年ぶりのマラソン大会は地元!🌸
『幸手市さくらマラソン大会』に旦那さまと2人で参加してきました。
今年は2年ぶりの開催。いつもは観光スポット「権現堂桜堤」を通るコースが変更。通らないコースでしかも10kmのみ。
親子の部とか、3kmとか10マイルとか種目も豊富だったのですが…かなり縮小されてこじんまりしちゃいました。
でも、スタート&ゴールの幸手総合公園陸上競技場周辺も、きれいな桜並木なんです。
ギリギリ桜が残ってくれてて、桜散る中を走れました✨
練習をしていない私よりも、旦那さまの体調がなかなか戻らなくて、走れるのかソワソワしてました。無事に走れたので良かった。
🍊さくらマラソン、驚きの結果。
参加者が少なすぎたおかげで、私…優勝してしまいました。39歳以下の部で。
記録証も結果も全部ネットに表示されます。表彰式とかも無し。
分かったのは翌日(記事を書いてるイマ)。
2位かなと思ってたのです。女子のトップはなんとナースの仮装をした方で、めちゃくちゃ速かった。その方が優勝かなと思ってたから。
40歳以上だったようです。色んな意味ですごい…敵わない(笑)
旦那さまは7位。惜しくも入賞を逃しました。
かなり走れちゃってたのになぁ。(私がゴールする400mくらい手前でもう、着替えて応援してくれてた)
男性ってやっぱり速い人が多いんですね…厳しい。
🍊「あと10分で終わるんだ」。
走る前は一丁前に緊張しておりました。
地元ということと、1人で練習しに来ていた&大会で走った懐かしい場所ということと。
大会=結果を出したいという思いだったり、辛くて苦しい思い出だったり。
色々なことが思い出されて、身体は動くけど内側はピヨピヨ🐣
早く終わりたい…そんな気持ち。
たかが楽しく走れればいい大会。何も背負うものはない。
でも、がむしゃらに頑張っていた時代。走るのが嫌だったけど何とか練習していたあの頃の、条件反射的なものでしょう。
旦那さまが一緒じゃなかったら出ていなかった。
1人でも練習して、1人でも大会に参加していた人間が、ちゃんと「弱くなれた」ものです。
走り出してみたら不安はなくなって、景色や人の声や、自分の身体や感情をぜんぶ感じながら走る走る。
そしてあと2キロくらいのところ。いちばんキツくなり始めた時にふと思った。
「あと10分もしないで終わっちゃうんだよね」
そう思うと、このキツさもまた「辛くて苦しい」ではなく、ぜんぶ受け止めようと思えました。
ゴールした後は身体がピヨピヨになったけど。
心も身体も置いてけぼりにしないで、一緒に走れた感じがしました。
🍊走り始めた頃の私。
私は「結果はやってみないと分からない」ものに対して、必ず緊張します。
再現性のないもの…とでも言えるでしょうか。
その時の自分の状態も、外側の状態も、何が起きるか分からない。いくら準備してきたとしても「必ず」はない。
それでも「満足のいく結果を出したい」。生来の負けず嫌いだったこともあり、楽しむ余裕なんてなく、ただただプレッシャーの中に自分を置いていました。
走りはじめの頃の大会は緊張で朝ごはんも食べられず、走り終わった後に吐いてしまう始末。
心は誰よりも弱いと自負しています。
それでも努力で結果を出せたことが唯一の自信になった。走ることが「弱い私を守る最大の防御装置」。
嫌でも練習して、食事制限して、走れたら満足。走れないと不安と恐れでいっぱいに。
それは執着へと変わっていき、ずっと気が張ったままの状態で日々を送るようになり。
そこには楽しさはありませんでした。
🍊今の私で走る。
それがもう無理になって走ることを辞めて、そして再開して2年。
以前は「走れていた頃の私」と「今の私」を比較して、自分で自分に落胆。
「あんなに走れていたのに、知っている人が今の私を見たら…」なんて思っていましたが、他人じゃない。私が私にガッカリするのが嫌だった。
でもふと振り返ると「昔の自分と比較する私」がいなくなっていることに気づきました。
昔の感情を思い出すことはあれど、今の私は「辛くて苦しい」状態に無い。
別に走れても走れなくても、どっちでもいいんです。
その時の私で走れたら良い。
今回マラソン大会を走ってみて、キツい思いはしたけれど「自分と一緒に走る」感覚を体験した気がします。
走り終わった後、緊張以前に本当に内臓の調子が悪くてずっと寝てましたが…体験の反動かもしれませんね。強烈でしたが(笑)
弱い自分から逃げるために走るんじゃない。
自分ともっと一緒になるために走るんだ。
もう、自分を置いていかないでね。
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