この世界では。
私が信じているこの世界では。
お金があり、結果をだし、速くて強くて、カッコ良くて美しい。そんな人間が正解で成功者だ。
スポットライトを浴びるのは、才能と能力がある人間。
努力したからだの。継続したからだの。
そんなのも結局、「その努力と継続ができる」才能と能力があるからに他ならない。
「能力は鍛えられる」と言ったって「鍛えられる」才能と能力があるだけだ。
スポットライトに当たり、名前を残す人など、才能と能力と、運が良かっただけだ。
たまたま、その「何か」の才能があって、環境も恵まれていて、「継続し」「努力し」続ける能力もあったから、圧倒的な存在になれた。
容姿や身体の美しさも。
それ以外の人間って、「それ以外」「その他」の何でもない存在だ。
才能×能力×運×etc、そういうかけ算にあぶれた人間。私もそこからあぶれた、ただのクズだ。
私が信じている世界はそんな世界だと、まざまざと突き付けられた。
私の否定する、女性ランナーの象徴。
ガリガリで極限まで絞って、私にはそれしか無いみたいな、身体も精神も極めた人間。
でも結局、そういう人間が結果を出す。
それが現実になった。
そうか。結局、私はこれを「正しい」と信じている。だから現実に形となって表れ、まざまざと突き付けられた。
私の見ている世界が、私が作っているのであれば。
私が否定していた「それ」が、実は私が強く信じていたから、現実になった。
ショックで呆然とした。
結局、そうなんだ。
結局、おぞましくシンプルなんだ。
太っている人間を、私は軽蔑している。
1つを極められる人間が成功者。
才能や能力がすべてだ。
結果を出せない人間は、「その他」「それ以外」のどうでもいい、私から言わせれば「失敗」「敗けた」側。
私は奥底でずっと、そう思っている。
結果がすべてじゃない。
そう思おうとしたけれど、やっぱり結果がすべてだ。
振り返れば、私はいつも劣等感と否定にまみれて生きている。
「これなら私は誰にも負けない」。
そういうものが欲しかった。
習字じゃなかった。
水泳じゃなかった。
勉強じゃなかった。
走ることでもなかった。
仕事もダメだった。
「何も成せない」側だ。
やっても「中の下」にしかならない。
その他にしかならない。
もう、どうでもいいや。
結局、この世界のシンプルさには敵わない。
信じている世界が現実になる。
見ないようにしていても、真っ正面から突き付けられたら、もう逃げられない。
見るしかない。
ちゃんと見るしかない。
才能も能力もない私を。
その他のつまらないクズな私を。
あがいたって無駄だ。
コントロールなんて出来やしない。
だから、そんな私は死ぬしかない。
まだ肉体は脱がない。
でも意識的に、死ぬしかない。
この信じている世界を壊すしかない。
それが真実。
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