「すごいことが起きたよ」と帰ってきた旦那さまからのご報告。
「こうだったらなぁ…」と望んだ次の日に、びっくりする形でその望みが叶いそうなんだとか。
ちょうど『神のはからい』という言葉の感覚を覚えた日のことで、私も「すごいなぁ」と感嘆しちゃいました。
自分の力が及ばない、想像もできない形で望みが叶うことがある。
ああしてこうして、こうなって…と計画を立ててその通りになるよりも何倍も面白い☆彡
その望みが、みんなの幸せになることであればすぐ叶えられるんですね。
🍊身体への「ありがとう」
そういう色々な体験が出来るのは、身体があるから。
「自分の身体にありがとうって伝えてますか」
「自分の存在に感謝していますか」
…と聞いて、何を感じますか?
私は最初、超白々しい感じで受け止めていました(笑)
そんなことして何になるの?
いやいや、そんな気持ちになんてなれないし。
何か…恥ずかしいし。
すごく否定的で、懐疑的な目で見ていました。
でも、今ならようやく分かります。
自然と湧いてくるようになりました。
年始から、ゆっくり身体を感じながら走って、色んなことを感じて、感じたことを全部書いて、アウトプットして、インプットして…
そうやって自分自身と日々丁寧に向き合うようになったからかな?と感じています。
自分の声を聴くようになったら、自然と「ありがとう」という言葉が出てきます。
🍊「ただいま」・「おはよう」が言えなかった私
そこで思い出したのが、私は「ただいま」「おはよう」が言えなかったんです。
言うのがもんのすごく!!嫌だった。
特に朝起きてから家族に対して「おはよう」が言えない。
理由は恐らく「余裕がなかった」「自分の気持ちや感じていることを無視していた」「感情を押し殺していた」から。
あいさつって「人に伝える(与える、渡す)もの」という感覚があって、自分が自分をそうやってぞんざいに扱っていたから、人に言う(与える)なんてできなかったんです。(厳密には、自分に伝えているんですけども)
まず、自分自身が先だったのに。本当に自分のことを見ていなさすぎます。
超ひねくれてたじゃん。
🍊最高の「癒し」は自分自身。
走りこんで怪我しまくって、倒れたり、熱を出したり。しかも身体のことなんて全無視して、感情さえ押し殺して。
そんな扱いをしてきたにも関わらず、身体は一度も私を裏切ったことは無かった。
「私」から離れることなく、ちゃんと毎日心臓は動いてくれて、息をしてくれて。
毎朝起きれて、美味しいもの食べれて、ぐっすり寝て。
「朝起きれただけで成功です」
そんな言葉をくれた人もいましたが、今やっとその感覚も理解できます。
マッサージとか、高級化粧品とか、整体とか、エステとか。
犬とか、猫とか、パートナーとか。
身体を労わる「行動」や気持ちが和む存在はそれはそれで大事ですが、外側の癒しは一時的です。
「一番の癒しは自分で自分を癒すこと」
これに勝るものはなに一つないんだと教えてくれた女性がいました。
体感した今、本当にその通りでした。
🍊また会えたね
夜寝るときは「また明日ね」「また会えるといいね」
朝起きたときは「また会えたね」「会えてうれしいよ」
言葉にしなくても、毎日そんな気持ちで過ごしていると教えてもらいました。
朝起きれないかもしれない。二度と会えないかもしれない。
毎朝起きることですら「当たり前ではない」。
自分自身に伝える、という気持ちではじめております。
そして、走ることに対しても。
走れていることに「動いてくれてありがとう」で、走り終えられたら「お疲れさま。ありがとう」。
部活で呼吸のように(笑)言っていた「お疲れ」だって、自分自身にいう言葉だったんだよね。
今までたくさんのことを取りこぼしてきた。
それを改めて感じて味わうことで、どんどん自分自身が癒されてます。
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