雪遊びランwith旦那です。
「なっちゃんは長い時間をかけて、走りながら遊ぶという領域へ到達したわけだ」とか言われました。
確かに、走る=遊ぶって感覚はまったくなかったですね~(笑)
走るってのは毎日しんどくて辛くて緊張して苦しいものだとばかり…楽しいのは結果(タイムや順位)を出した時だけ。
意味づけが変わっただけで、こんなに毎日の幸せ度数も変わるんだ…走れるだけで幸せだもの。
🍊全部自分で「設定」していい。
この世界は言葉によって、形として存在している。言葉によって「何か」が定義づけされている。それはすべて、人間が勝手につけたもの。
だとするならば、ぜんぶぜんぶ自分で設定しちゃえばいいじゃない?
例えば「働く」。
「働きたくない。だってつまんなくて、頑張らなくちゃいけなくて、苦しいもん」そんなことを私が言うと「え~!働くってね、楽しいよ。きっと知らないだけだよ」なんて返されたことを覚えています。
そんなこと言われても「???」でした。だってその感覚わかんないんだもの。
でもね、今さらながら腑に落ちてきました。「働く=汗水たらして、我慢してお金を稼ぐ」みたいな設定になっていたから分からなかった。
働く=真剣な遊び。私はこれがとってもしっくりきた。とても心地いい。
例えば「結婚」。
「結婚したら、義理の両親とも付き合わなくちゃいけない」「結婚したら、家事も仕事も頑張らなくちゃいけない」「結婚したら、自分の時間が取れない。不自由」「結婚は、妥協」「結婚は、我慢」…こんなイメージを持ってたら、そりゃ嫌ですよ結婚なんて!
私も最初は怖かったけど…旦那さまと一個一個密に相談して感覚をすり合わせたら、大丈夫だって思えた。
「結婚=幸せが共有出来て無限大」「結婚=さらに自由になる」「結婚=楽しい」。
たぶん私の設定はこっちになってそう。
🍊たぶん「設定」で回っていく。
好きなことで生きていく。
よく聞かれるようになった言葉です。
私はこれに「お金」「仕事」「稼ぐ」をくっつけていました。
好きなことで生きていく=好きなことを仕事にしてお金を稼ぐ。
おっと、色んなものくっ付けすぎです(笑)
私は走ること自体を仕事にするなんて考えてない。
好きなタロットだって、好きで引きたい時に引きたい人に引くもの。
稼ぐにコミットして、それを「楽しく」やれる人もいる。
でも、やっぱり私は「走るために走ってない」し「稼ぐために稼いでない」。
分からないけど、たぶん「きゃー!」って楽しんで真剣にやって、それを周りの人に見せてたら回っていくんだろうな。
自分で勝手に(無意識に)意味付けしていることはなんでしょう?
気づいて変えていったら、想像もできない未来に繋がる…かもね。
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