熱海へ2泊3日のひとり旅。
シータヒーリングの基礎講座を受けに行っていました。
友人からのお誘いでご縁が出来て、私がやっている「自分を知る」「見えない力」「共同創造」という部分にかなりヒットしていたので、受けてみることに。
や~楽しかったです。
セッションや掘り下げをやるんですが『神視点』で捉えるので、徹底して「私情をはさまない」。というよりはさめない感覚。(善悪を代表とする二元性がないから)
「その人にとって」の「最高最善」となるように、やり取りが進んでいく。
人と話をするとき、私はいつもコントロールや期待が入っていたり、自分の価値観だけでものを言ったりすることが多く、偏りが出るのが嫌でした。
その人にとってではなく、私の考える「こうなったらいいんじゃない?」になっていっちゃうし。
そんな「エゴ」「自我」を挟まない状態で、やり取りを進める。この感覚が体験できたのは大きな財産となりました。
🍊離れていた間のシンクロ
ひとり旅。
もちろん、旦那さまと完全に離れていました。旦那さまは仕事だしね。
その間、珍しくお互いに一回も連絡を取っていません。(いつもだと何かしらメッセージ送ったりしてるんだけど…)
それに対して、何とも思わなかった私。これも初めての感覚。
帰ってから、その3日間の内に起きた出来事をシェアしたら面白いことに。
私は知り合った人に
「旦那さんに何て言って熱海に来たの?」
「え?何しに行くか聞かれないの?すごいねぇ」
旦那さまの方は
「奥さんと連絡取らないんですか?」
「え!心配じゃないんですか??」
…「心配しないか」「心配されないか」を聞かれるというシンクロです。
🍊「心配しない」その源は?
「信頼」の一言で終わる回答なんですけど、もう少し掘り下げてみると。
私はいつも「心配」という愛情を受けて育ちました。特に母から。
「心配」の部分ばかりチクチク言われるから、「何で認めてくれないの!信じてくれないの!!」ってなっていた時期も…
母の大きな愛情なんですけどね。それもあり「信頼」の方が好きなんです。
旦那さまには最大最高の信頼があるので、「熱海行ってくるね」だけで大丈夫。説明してなくても。という信頼が源。
旦那さまはもっと『神視点』です。
「外で何をしようが、それは何でもいいんだよ。2人でいるときに幸せなら」。
つまり、自分の見えないところで妻が「男性と会っていた」「良い感じになっている」としても、自分といる時に自分が変わらず幸せなら良いんだ、と。
自分の幸せは、相手の行動で左右されない。そういうことです。
彼の過去の色んな経験から導きだされた答えですが、や~すごいな…
これってね、相手への信頼というよりも「自分は何があろうとも幸せである」という、「自分への信頼」だと思うんです。
私はどうだろう。そう思えるかしら。知らなかったらきっと変わらず幸せなんでしょうね。
知ってからは…やっぱり悲しいかなぁ。
🍊「思い込み」に気づくと…
旦那さまの話で面白かったのは、「連絡しないんですか?」と聞かれた時に「なんで?」と、逆に聞いて説法してきたってやつ(笑)
「妻がひとり旅に行く時に、心配するのはなんで??」
「連絡するのが当たり前なの?」
「心配したり、連絡を取ることが愛情と思っているの?」
あと、「外で何をしようがどうだっていい」の部分も話したけれどポカンとされたそうです(笑)
こういうところが本当に好きです♡
良い悪いではないけれど「当たり前」と無意識レベルで思い込んでいることに気づくと、とっても面白いですよ~
自分の思考がどこから来ているのか。感情はどこから来ているのか。
それを知ると、生きるのがとても楽しいから。
離れている間もお互い、人生で起きる日々は豊かで面白い☆
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