「脚が引き締まったね」
そう言われてめちゃ嬉しい最近の私です。順調に走り続けられている証拠でもあるし✨
決して無理せず、ペースも上げず、地道に積み重ねてゆく。走ること以外にも筋力トレーニングや体幹トレーニング、そしてケアやストレッチも日々しっかりと。
旦那さまから教わった姿勢や考え方を、少しずつ実践できているような気がしています。焦ったり不安に駆られて、がむしゃらにただ頑張るだけの昔の自分から、少しずつ変えてゆく。
『変化』とは、自分で「変わった!!」と声高に言うものではなく「他の人が気づいてくれるもの」であったり「他人が発する言葉」によって自分が気づくことが本当の変化だと、友人から教わりました。
それともう一つは、ふとした時に出逢ったシチュエーションや言葉に出逢って起こる自分の反応を感じた時。「あ。変わったなぁ…」とじんわり実感することも『変化』だと思います。
前回の投稿の最後の方で、実家の遺物(笑)を整理していた時に感じた変化は後者です。
私の人生の半分以上は「走ること」を中心に動いていました。でもその半生は「苦くて辛い歴史」であり、私の未熟さや幼さが際立ち過ぎているので「黒歴史」認定しておりました。
切り離したいし、できれば過去を忘れて今の私の生き方や人生を「是」として生きていこうとしていたくらいです。(これは旦那さまから指摘されました。当時は耳が痛すぎた…)
しかしこの前、実家の色んなもの…特に当時の手紙だったり写真だったり…を見ている時に、抵抗感ゼロでちゃんと過去の私を見て、感じて、受け入れている私がいました。
過去のわたしを迎えに行く。そんな感覚です。
🍊拒絶から始まった履歴。
なぜ受け入れられるようになったのか。この理由はひどく単純で笑えるんですが、今、順調に走れているからです。
今の私のまま、マラソン大会に向けて練習を積めてきているから。トラック練習にも復帰したりして。
それは過去の私をなぞる過程とも言えます。その過程の中で、抑えていた様々な感情や身体の反応、想いを再体験してきました。
時間的には数か月とかではなく、旦那さまと出会ってからの3年弱をかけてゆっくりと。
……でも、もっと遡って言うと、一度「走ること」から完全に離れた3、4年間があったことも大きいかも。この離れた期間は全力で「走ること」「ランナー」から絶縁してました。
実業団時代⇒市民ランナーと経て、絶縁するところから振り返ると、私が受け入れられるようになった過程はこんな履歴になります。写真と共にどうぞ(笑)
・26歳後半~29歳ごろ。走ることを止め、情報を得ることも含めて「走ること」のすべてから絶縁。ランナーの知り合いとも心の縁を切る。この時期、演劇を通じて「感情開放」「感情表現」を学び実践する。(過去の蓄積で「悲しい」を抑えすぎていた結果、ワークショップではいつも号泣してた)
・29歳~30歳。演劇を辞めた後、人との交流が活発に。ひょんなことから会社の先輩や上司、同僚と皇居を走る会に参加するように。(Boudoirを撮ってもらい始めたのもこの時期。女性としての感覚や、みんなと走る楽しさも知る)
・30歳。コロナ騒動でリモートワークとなり、家から出ない生活で精神的に疲弊したことにより、日々のジョギングを再開するようになる。自己啓発系や恋愛ノウハウ系書籍を読みまくり&セミナーとか講演会にいっぱい参加。(無意識下にある考え方や自分との向き合い方を学んだ)
・同時期、会社を辞めることを決断。マラソン大会のボランティアに参加してみようと思い立つ。会社を辞めてからはさらに毎日走るように。そして旦那さまと出会って本格的に再開し始める。
・31歳。旦那さまに連れられてトレランを走るように。トラック練習にも復帰。リスタートランニングクラブでサポートをするようになる。年末に42キロのトレイル大会を走って完走。
・32歳。いきなり走り込み過ぎたせいで故障。5月ごろまではまだ走る気力はあったけど、過去痛めた部分の再発と、新たに故障したため気持ちが切れて、走ることはお休みがちに…。ようやく年末に「もっと丁寧に土台(心と身体)づくりをし、もう一度大会を走ってみたい」と思うようになる。(口に出すのがちょっと怖かった。また頑張らなくちゃいけないという、ちょっとプレッシャーがあったから)
・33歳(今年)。今年初めにマラソン大会に挑戦することを決断。「北海道マラソン」と決めて年始から少しずつ距離を伸ばしながら走り始める。ポイント練習(トラック練習とか)に復帰したのは5月末。
ざっくりと。このような期間を経てようやく「過去の私」に対する感情や想いが変わりました。
🍊受け取り方の遷移ときっかけ。
こちらも私らしく非常にシンプル。「極」に振れて「中庸」へ戻しつつある感じ。ゼロか百かの思考回路だったので。
走るのなんてマジで無駄。嫌い。なんでみんなあんなに頑張ってるんだろう。走ることだけが人生じゃないのに。視野狭すぎ。(過去の私を完全に拒絶)
⇒ゆっくりならもう一度走り始めても良いかも…結局、走りたくなったわけだし。(みんなと走るの楽しい&リモートワーク中の精神安定剤)
⇒客観的に見てみたい。ボランティア参加してみたらどんな気持ちかな…?(現役時代にそんなの微塵も考えなかったのに)
⇒あれ?走ることを通じてなんと彼氏ができたぞ?やっぱりこの道が私にとって「YES」らしい。走ろう。(旦那さまとの出逢い。まさにもう一度再開したからこそのご縁)
⇒トレランみたいに、自然の中をゆっくりと、景色を楽しみながら走るのって良いな!大会出てみよう。ポイント練習もキツイけど再開するかな。(練習への拒絶感は少しだけ薄れる。養老トレイル完走)
⇒うそ、こんな早くにまた故障??バーティカルレース出てみたけど、競技の世界エグすぎ。やっぱり競技としての走ることは糞くらえだ!(速さを競うことに対する拒絶感が増大。でも単なる嫉妬)
⇒このままぐずぐず、ずっとくすぶっているのが何か嫌だな…フルマラソンをもう一回走ってみよう。そのためのプロセスを大事にして丁寧に積み重ねよう。
そして今の私へ。これまたざっくり。
今はポイント練習(特にトラック練習)に対する「走れるんだろうか。大丈夫だろうか」という「不安」「恐怖感」「緊張」はあるものの、もはや諦めて「それも私」と受け止めることにしました。旦那さまからは「練習前と後でマジで別人…」と呆れられてます(笑)
でも過去の私は、毎日この「不安」「恐怖」「緊張」の中で過ごしていました。休息やリラックス、「抜く」ということが異常に下手くそだったので…
余裕はなく、ガチガチに凝り固まった思考と心と身体。それを思うと「そっか。過去の私はあまりに一生懸命すぎたんだ」とだんだん可愛く見えてきました。
今よりもっと速く走れていたことも、すごかったんだなぁ…と心から思えています。だって今、そんなに速く走れないんだもん。
拒絶と言う「極」に振れてからの今に至る道は、振り返ると自然のような気がします。私に必要だったからまた走るようになった。しかもきっかけはすべて「環境」と「人」。
皇居ランニングに誘ってくれた会社の人たち。コロナ騒動のリモートワーク。旦那さまとの出逢い。一緒に走るようになり、リスタートや昭和記念公園でランナーのサポートもスタート。
そして走ることとは直接関係ない人たちにも、普遍的で深い「真理」ともいえる考え方や捉え方を教わってきました。
だから言えるのは、どうしても「抵抗」があったり「拒絶」があるものごとに対しては、無理に向き合う必要は全くないこと。(むしろそのやり方は違うかと)
そして一人で向き合わない方がいいこと。一人分の視野に狭められるといつまでもぐるぐるするし、ヘンな方向に行きかねないし。
必要だったら自然と向き合う道に導かれるもの。そして「溶かすもの」ではなく「溶けてゆく」もの。
🍊何の参考になるか分からないけれど。
こんな形の文章になるとは思ってませんでしたが、なんだか自分の中で整理したかったんでしょう。
「走ることの中でしか答えは見つからないと思います」
ある人に言われたこの言葉は、部分的には正しかったと思います。「走ることでしか見つからない」かと言われたら「そんなことはない」けど、「走ることでしか迎えに行けなかった私」がいたことは確かだから。
私の中で自然と湧き水のように「もう一度走ってみたい」という気持ちが湧いてきて、また走り出して。
以前は「走り続けなくちゃ」と思ってたけど、別にいつでも再開できるし「一度止まってみた」方が実は近道だったかもしれません。
私の場合、「過去の自分」とは言うけどそれが全部「走ること」に紐づけられちゃうわけで、これは「走ること」に対する私の気持ちや行動の履歴になりますね。
今後の私はどう変わってゆくんだろう。また走ることから離れたりするかも。でも再開してみたので、どうせなら自己ベストをちゃんと更新したいな…なんて考えてみたり。
そしてゆくゆくはどうせタイムが伸びなくなって、どうせ走れない身体になってゆくんだろうけど、できる限り元気に一生走りたいなと考えてみたり。
どうなるかは分からないけど、走ることは私の中心にある大切なものであることは、変わらない。