いつも、こうなるんです。
旦那さまとは禅問答。
この本を私が持ってたんですね。
「この分厚い本を読ませてるってだけで、けっこう頑張らせてるよね。」と旦那さま(笑)
おっしゃる通りだ。本当に。
でも、本を読んでも「言葉の意味」は理解できるけど、実際はできない。分からない。
変わらない。
そんな気になるだけで、実際は変わらない……
そういう経験、何度もしてきました。
そもそも、本の内容まったく説明できないくらい頭に入ってないんだもの。
そりゃそうですよね。
頭に入ってたとしても、日常で「行動して」少しずつ訓練していくしかないと私は思ってます。(すぐ、元の自分のパターンに戻るから…)
そんな一冊の本から、禅問答。
旦那さま「自分は、今のところ幸せって何なのか分からなくなったんだよね」
わたし「幸せって、気づけば幸せじゃない?
でも、みんな比較論で言ってるよね。例えば、衣食住さえままならない人がいる中で、自分は衣食住は保証されてる。安心、安全。だから幸せ、みたいな。
でもさ、頭では分かってても腑に落ちない人もいる」
旦那さま「誰?」
わたし「えーと、私の知り合い……………いや、はい、過去の私のことです」
※旦那さま、「みんな」とか「そういう人がいる」とかっていうの、大嫌いなの。(だから、言い直しました)「特定の人」じゃなくて勝手に「仮想した人」のことを盾に、話を進めることが嫌い。
本当は「自分が」そう思っているだけで「みんな」とか「その人の気持ちを…」とかって、分を守る、目を逸らせるための言い訳なんです。
旦那さま「別に腑に落ちなくてもいいじゃない。幸せなんだな。それで終わり。幸せじゃん。」
わたし「あ、そうか。私、腑に落ちなくちゃダメって、勝手にNGにしてたんだ。(腑に落ちるくらい、心から感じられないなら嘘みたいな)」
旦那さま「耳の痛いこと言って良い?なっちゃん、今『過去の自分と比較して』幸せだって言ってるよね?」
わたし「確かにそう。でも、今は本当に幸せだけど、過去の自分は……」
旦那さま「過去のなっちゃんは、本当に幸せじゃなかったの?不幸だったの?」
わたし「だってそりゃ………あ、違う。気づいてないだけで、幸せだった!」
旦那さま「その時はその時で幸せなんだよ」
うん。そうでした。
私ね、過去より今の自分の方が幸せだって思ってた。
でも、過去は過去で、ただただ視野がちょっと狭くて余裕が無くて、何かに一生懸命すぎて気づけなかっただけ。
ずっとずっと、幸せだった。
幸せの形が変わっただけ。
そしてもう一つ。
過去の自分を否定して今の自分を正当化したい。それだけでした。
恥ずかしいったら…
今の自分を、自分を否定することで承認しようっていう欲求。
他人にも出てましたけどね(笑)言わないだけで。
過去の自分みたいな人を見てると、あぁ、かわいそう。
見下してました。
過去の自分を見下してたから。
すねてるわぁ…本当に。
真っすぐに見れてなかった。
後日…
旦那さま「幸せって、個人の価値観だし一人一人違うからね。
でももし、完璧じゃないと幸せじゃない、つまり100のうち1でも満たされてなかったらダメ。99じゃ幸せじゃないっていうんだったら、それはまぁハードル高すぎだよね。
自分の中では49満たされてなくても51満たされてたら、幸せだよ」。
一つ一つを、丁寧に言語化する。
考えて、自分の言葉にする。
それができるこの人は、本当にかっこいい。
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