3月までは駅伝&マラソンシーズン。
都道府県対抗駅伝とか、各地のマラソン大会の結果がFacebookやらTwitterやらで目に届く……
「あーーー!良いなーー!!」
めちゃくちゃ羨ましがっております(笑)
何か「簡単に」走っている感じがするんだもん。
その背景で相当な練習を積み重ねているのを知っているのに、そう思えてしまう。
挙げ句「楽しかった」「走るの好き」ってのたまうし。(挙げ句ってなんだ)
本当はそういう経験をしたいのに、したことが無いからでしょうね。
何かを「ウラヤマシイ」と思うのって「自分が出きるから」「自分がしたいから」らしいのです。
今年は自分に、その経験をさせてあげよう。
そう決めています。
🍊「覚悟」が怖い。
「決める」「覚悟する」って、私は重く苦しいものと思い込んでいました。
何でだろう?…振り返るとやっぱり過去の体験からかなぁ。
「目標を決める」「達成する!こうする!と覚悟する」のが、怖かった。
出来なかったらどうしよう?
どういう目で見られるだろう?
決めたからには変えちゃダメだ。
頑張って、我慢して、努力して、苦しいことをしないとダメ。
……などなど、何でか「自分を縛る」「自分を苦しめる」のとセット(笑)
すごく重くて圧のかかってるエネルギー。
そう捉えていたから、ずっとずっと「決める」「覚悟する」ことから逃げ続けてきたと思います。
🍊本当は…
「覚悟があると感じてるよ」。
そんな言葉を、お世話になっている方からいただきました。
今、「自分と丁寧に向き合うこと」「自分の軸をたてる、アンカーを下ろすこと」をやっているのですが、その姿勢に対して「覚悟がある」と。
私の中では覚悟なんてそんな大層なものは感じてなくて、ただただ真っ直ぐに余すところ無く、自分を感じようとしてるだけ。
でも、それが「決める」「覚悟する」ということの本当の感覚みたい。
赤色でもなく、青色でもなく……白とか透明、という感じ。
とても静かで、自分の中にスッと一本の線が通るような。
やわらかくて穏やかな感じ。
体育会系の感覚で「覚悟する!」「決める!」なんて力が入っているのとは真逆で、ビックリです(笑)
🍊感じることが、第一歩。
色んなことを感じまいと、圧し殺して生きてきたなと思います。
冒頭の「ウラヤマシイ」「チクショー」的な黒い感情だって、「そんなもの感じてない」フリして、感情を封印してさ。
見ないようにして、無視してきてさ。
自分で自分に麻酔をかけてる。
だから、過去の体験の「痛み」が何度も何度もぶり返す。
それを、ちゃんと見てあげること。
そうすることで、逃げていた何かや怖いと思っていた何かは、溶けて消えていくようです。
何かが変わる時や、人生のターニングポイントや、何かを決めるとき。
そういう時って、実はとても静かなんだろうと思います。
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