人の死を感じて。繋がりという儚いもの。

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ささやかな「気づき」あれこれ。
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先週、祖母の四十九日が終わりました。

今年は義母も亡くなっていて、人が亡くなるとは一大事なんだなと改めて感じていた秋。

今日、大学時代の先輩が亡くなったと連絡が来ました。

癌だそうです。

卒業してからは繋がりが途切れたので何も知らなかった私だけど、連絡を見た瞬間、ショックを受けました。

とても親しかった、というわけでもない。それでも、ある時期を一緒に過ごした人。

ちゃんとショックを受けた自分にも驚きました。

最近、常々思っていたのです。私、人の繋がりを全く育んでこなかったな、と。

自分のことで精一杯だった、の一言につきますが、要は自分がいちばん大事だっただけのこと。

人のことは…率直に興味がないんだと思います。まー、ヒドイ性格してる(笑)

繋がりをすぐ忘れるし。人の名前も顔もすぐ忘れる。

特にランナー界隈との縁は切っていた時期もあったので、なおさら。

そういうワガママを貫いてよー生きてきたなと。

そんな私とは正反対なのが旦那さまなので、こういう自分のダークな部分がより鮮明に映し出されます。

母校の恩師に毎年会いに行く。

何かをいただいたら、ちゃんと感想とか写真とか、何かしらを添えて送る。

見かけたら声をかける。(レースとかで)

応援に行く。

人の写真を撮ってあげまくる。

節目節目には連絡する。

会社のメンバーに誕生日プレゼントを贈る。(あと、もちろんお土産も欠かさない)

同窓会には行く。

などなど。

こういうの、たぶん「普通」とか「一般常識」なのかもしれませんが、それらが欠けている私からしたら「スゴいな!」の一言です。

だからこそ、繋がりが広いし深いし、飲み会やら練習会やらに頻繁に声をかけられるし。

私に無いものを、彼は持っている。

「あ、そういうの大切なんだ」と学ぶことが多いです。私は見倣っております。

でも、自分の欠けているものを悪いとは思わなくなりました。

結局のところ本当に大切にしたい人なんて、10人にも満たないくらいだから。

旦那さま。家族。あと数人。以上。

私が大いに影響を受けた人がいて、その人、自分の繋がりをExcelに書き出したんですって。(恐ろしいほどの人脈を持っています)

そうして優先順位的なものをつけたら、やっぱり「一生大切にしたい人」は10人以内だったそう。

この人でもそうなんだぁ…と、今でも鮮明に覚えています。

それでも、人の死を見つめて考えをちょっと改めました。やっぱり、関わりのあった人が元気であってくれたら良いな。

別に連絡もしないし会わないし、何かする訳じゃないけど。

繋がりは簡単に切れる。

繋がり続けることは貴重。

本当に大切にしたい人にだけは、惜しみ無く真っ直ぐエネルギーを使うんだ。

後悔なんて無いように。

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