毎日トレラン(トレイル・ランニング)できる環境が幸せ。
本格的な山ではないのですが、林道を長い時間走れる場所が近くにあります。
緩やかなアップダウンと、時々急坂もちょこちょこ。
ロードよりも緩急があるし、車も通らない森の中を走るって、それだけで癒し。(キツイっちゃきついんですけど)
上ったり下ったり、曲がったり、躓いたり。変化に富む自然の中は、心と身体を解放してくれる。
トレランの世界に導いてくれたのは旦那さまです。
初デートが高尾山のトレランっていう(笑)
そんな彼だからこそ、ちょっとニッチな本を持っていました。
『走ること、生きること ―強く、幸福で、バランスのとれたランナーになるために―』
エミリー・フォースバーグさんは、「スカイランナー・ワールドシリーズで4年連続でチャンピオンとなり、5つの異なるウルトラレースの最速記録保持者。山岳スキーの世界選手権でも6個のメダルを獲得している。山岳スキーチームとウルトラトレイルチームの元スウェーデン代表」。本より。
私的に言うと、世界一タフネスで、走ることを愛し、山を愛している女性アスリート。
そんな彼女の本より、私にとっての「走ること」に対するヒント見つけてみます。
🍊走ることとは人生そのもの。愛そのもの。
ランナーであることは、自分にとって何を意味しているのだろう?走ることで、私の人生はどんな方向に導かれている?走ることはこれまで私に何を与えてくれ、日々、何を与え続けてくれているのか?これは走ることに対する私の愛の告白だ。走ることは私の人生そのもの。だから、これは私の人生に対する愛の告白でもある。ーPREFACE 6
…もう、前書きだけで十二分。これが彼女のゆるぎない、絶対の真理。
土台が「愛」。
アスリートや何かを続けている人、極めている人はきっと、「人生=自身のやっているもの」となっていると思います。
何の記録もないけれど私ですら「走ることはなっちゃんにとって、自分自身の表現」って言われるくらいだもの。
…山や走ることへの永遠の愛を保ちながら、同時にプロとして競技をすることは可能なのか?という問題だ。情熱の対象が仕事になったとき、自分にとってもとても大切な喜びとシンプルさを、これまでと同じように保てるだろうか?ーDESICIONS 34
プロになる際に、彼女は考えた。愛しているものを仕事にしたら、ずっと愛していられるのかと。
好きなことを仕事にする。
アスリートだけではなく、この問いや葛藤は発生すると思います。
あんなに好きだったのに、仕事としてやりだしたら嫌いになってしまった。
とても苦しくなってしまった。
私は兄からこんなことを言われたことがあります。
「走ることを仕事にしたら、なつみはダメだろうなぁ…」
うん。当時の私は無理だったのが分かる。
結果をださなくちゃとか。人と比べるとか。勝たなくちゃとか。そういう「外」を気にしすぎて絶対に潰れる。
土台が「恐怖」になる。
「愛」だったものが、「恐怖」へ。
それはとても辛いこと。
🍊愛しているからこそ、手放して見えること
私のモチベーションは、自分の協議で最高の選手になることではなかった。私のモチベーションは、日常生活に感謝すること。そして、それは常に”自由に走ること”でもあった。ーFREEDOM 54
自分の軸となる想いはどこにあるだろうか。
時には見失ったしまうこともあるけれど、それが何か分かっていれば必ずまた立ち戻れる。
そして、時には離れることもとても大切になる。
私は走ることを休んだ。思い切ってそれを手放した。ランニングは私から逃げたりはしない。私は走ることを取り戻すために、それまでとは全く違う何かを必要としていたのだ。ーBREATHING 143
大きな怪我をした後のリハビリの過程で、エミリーさんは「走りたい気持ちを手放し」、1ヶ月間ヨガを本格的に学んだそうです。
心身、特に心のバランスを取り戻すために。
ヨガから学べることは多い。すべての変化は内側から起こる。周りの世界に対してどう反応するかは、私たちの心次第。真実は内側から生まれる。気づきを得ることが、正しい方向への一歩になる。ーUPHILL 78
「走ることで傷ついた心は、走ることでしか癒せない」。そんな言葉を言われ、走る中で自分を癒そうとしたランナーの先輩がいました。結果、「癒せた」んだそうですが…
旦那さまに話したら「何でやすりで傷つけた傷を、さらにやすりで傷つけにいくのよ」って。
私もそれには同意で、走ることから休むこと、別の何かに打ち込むことで見えることが非常に多い。
もちろん、ずっとずっと1つのことと向き合うことで、見つかることもあるだろうけれど。
自分で決めて、休んでもいいし立ち止まってもいい。本当に好きなら、やりのことしたことがあるのなら自然に戻ってきちゃうから。戻らされるから。
自分のしていることの正しさを確認するには、しばらくのあいだ立ち止まってみるといい。他にやりたいことがなく、自分がいる場所以外に行きたい場所がないのなら、正しいことをしている証。…何事にも変化はつきもの。私の走ることへの情熱やモチベーションも、時間の経過とともに変わっていった。でも、核となるものーすなわち愛ーは何も変わらずにそこにある。ーCULTIVATION 103
変わらないのかな。愛って。
私自身の走ることのモチベーションは最初、愛からではなかったと思います。
得意だった。誰にも負けなかった。自分のアイデンティティを守る術だった。
速く走れた時、結果が出た時だけは楽しい。それ以外は苦しさや辛さの連続だった。
毎日気が張っていて、休まるときがなかった。
そんな続け方をしていて、一度走ることを辞めた。
今なら「そりゃ続かないよ!!」って分かる。
私には走ることしかない!っていう執着にまで発展していたし。
でも、こうして戻ってきてまた、新しい私として始めようとしている。
走ることをただひたすら頑張っていた私、離れることが恐怖で仕方なかった当時の私に声を大にして言いたい。
「走ることは逃げないから。何歳からでも出来るから。嫌でも戻ってきちゃうから(笑)。もっと色んな体験をして。人生を楽しんで」。
エミリーさんから、とても大切なものを受け取れました。ありがとう。
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